炭素と熱量(カロリー)

森は酸素発生装置ではない

ロカボはlow-carbohydrate dietsの略、カーボンニュートラル(carbon neutral)と似た言葉ですね。carbohydrateとは炭水化物を指します。そう、炭水化物は悪しきCO2の源であるCから成り立っているのですね。

 

カーボンニュートラルはどうでしょう?例えば薪ストーブを例にすると、薪を燃すことで、薪(木)が含有していた炭素が、燃焼という反応によって酸素と結合しCO2が排出されることになるんだけれど、また木を植えてCO2からCを吸着させることによって±ゼロになるので、ヨシとしよう、ってことですね。

 

ここであれ?ってならない?

木や森や植物や植林やってのは環境にやさしく美しいもので、木はCO2をO2に変えてくれるんじゃないの?そう、悪のCを善のOに変えてくれる白魔術師、それが木や森や植物のイメージですよね。

 

例えば、アフリカで行われている森を燃して作物を作る焼き畑農法は、白魔術師を大量虐殺する感じ?もう2度とC→Oの魔法が使えなくなるイメージが浮かばない?

 

でも、それは大間違い。木は光合成により、CO2を吸ってO2を吐くけど、CがOに代わるわけはないですね。元素が他の元素に変化しないことは中学生でも知っているんじゃないかしら?

 

では、光合成によってCO2→O2となった残りのCはどこに行ったのかしら?そこに着目!それが木に吸着されている、というより、Cが木になっている、と言ったほうが正しいかも。樹齢数百年の巨木はより多くのCで、割りばしの元になる枝はそれなりのCできている、ということです。

 

となると、木を伐採する行為=地球温暖化を促進させる悪行というのとは、ちょっとニュアンスが違いますね。木がそれ以上光合成をしない=それ以上大きく成長しないだけであって、そのまま建材として利用されるなら、C(のほとんど)は大気中に放出されません。

 

冬になれば広葉樹の葉が落ち、嵐になれば森の木の枝や幹が折れて落ちたりします。これを燃すとCO2を排出するも人に有益な熱を得ることができますが、そのまま森で朽ちていくなら、それも同じ量のCO2がただダダ漏れします。木が枯れて朽ちていく過程で燃やすのと同じ量のCO2が出ているのです。

 

要するに、緑化の美しいイメージとは裏腹に、森の木々は一時的に炭素を蓄えているだけで、未来永劫その炭素が蓄積されるわけではありません。植樹でC→Oの魔法が使えるようになるのでなく、植樹した木が成長した分だけ、Cを森に蓄えさせているだけなんです。森は酸素発生装置ではなく、炭素一時保管庫=カーボンストレージにすぎないんですね。

 

熱量ってなに?

 本当に、人類が化石燃料を燃したことで大気中のCO2が増えてしまったなら、より多くの木や森を成長させ、つまり森をデブにして、より多くのCを森に蓄えさせることで、本当のニュートラルになります。

 

CO2が悪であるなら、Cをより効率(正しくはスペース効率)よく蓄える必要があります。では石油や石炭や天然ガス、植物、脂肪、どれがスペース効率がよい炭素の在り方なのでしょうか?気体と固体/液体では圧倒的に固体/液体の勝ちな気がします。では、石油と和牛霜降り牛肉はどちらが?

 

それは燃焼させてみればよいと思う。よりよく燃えるほうが、より多く炭素を含んでいる。この燃焼力を熱量=カロリーって呼んでるのよね。つまりカロリーっていうのは太りやすさや運動の元となるエネルギーの量を指し示すわけではなく、炭素含有量なのね。都市ガスのカロリーも食物のカロリーも同義語であって、高カロリーはよく燃えるし、脂肪として蓄積しやすいし、で脂肪蓄積しやすいってことはカーボンを多く含んでいるということ。

 

という無責任な推測をググって調べてみたら、ビンゴ!私たちが食物からエネルギーを取り出す反応は、燃焼とほとんどいっしょという理論を元に、食物毎のカロリーが算出されているんですって!

 

脂身も焼肉の網の上でよく燃えるけど、網の上に石炭とか置いたら大変なことになりそう。ここでの勝負は脂身<石炭で石炭の勝ち。どう?腑に落ちる?「石炭を燃やしたら、その石炭と同体積分、木が太くなればよい」ではなく、その石炭の火力(熱量)と同等の熱容量となるだけ、木を太らせないとニュートラルとはならない。ってことね。

 

 

今日は肥満や痩身のキーワード、カロリーはカーボン含有量のこと、というお話でした。